五段重

五段重

中里壽蒔絵展 -幸せをもたらすもの-

会期:
会場:壺中居
撮影:野々保昌良

『中里壽克と漆』

中里壽克先生に初めてお目に掛かったのは、漆工史研究のご指導いただくために昭和57−8年頃に東京国立文化財研究所(現・東京文化財研究所)の修復技術研究室を訪れた時であったと思う。当時は、東京藝術大学漆工科を卒業され、文化財研究所で中尊寺金色堂の調査の最終段階をむかえられ、法隆寺献納宝物・正倉院宝物などの調査・分析・修復を手がけられていた。
研究の業績は、「自分のライフワークは何も悩むことなく自然に決まった」と自ら記されている通り、中尊寺金色堂との出会いがその骨格を形成している。金色堂の調査研究を契機に、その後の20数年を費やして平安時代の漆芸技法を解明に努められた。
昭和40年頃から漆工品の修復事業が実施されたため、幸運にも数多くの指定品を調査する機会に恵まれた。調査には、当時の最先端技術であったX線透視調査や実体顕微鏡による光学調査を導入され、漆芸研究における科学調査の先鞭をつけられた。
その研究成果は、至文堂から平成2年に『中尊寺金色堂と平安時代漆芸技法の研究』を出版され、翌年に日本美術史研究における最高賞の「國華賞」を受賞された。本書は、いうまでもなく金色堂の漆芸技法の解明と平安時代の漆工研究の基礎を確立したもので、その後の研究の方向性を示した名著となっている。
平成10年に東京文化財研究所を退官され、その後は鶴見大学の教授に就任されて後進の指導育成に努められた。平成19年3月には鶴見大学を退職されて、現在は蒔絵作品の制作に勤しんでいる。
漆の作家としては、長年に亘る漆芸研究を通して培った古代意匠を基礎に置いて作品を制作している。意匠は、正倉院や平安時代の意匠から抜け出した鴛鴦や兎、自然の写生描写を基礎に置いた栗鼠などが特徴である。器形は乾漆で創り、蒔き暈しを用いて柔らかく模糊とした平安蒔絵の効果を狙っている。近現代の蒔絵は描線を強く表現するが、蒔絵の描線1本1本に蒔き暈しを行っている。
「胡箱(こばこ)」と呼ぶ珍しい形の箱がある。胡箱とは、普通の箱より変わっているとの意味で、唐時代に中国人以外の外国人を「胡人」と呼んだように、日本にはない形状の箱を指すという。正倉院宝物の入隅の箱を発展させた独自の形態である。いずれの作品に共通するのは、古代意匠のロマンや自然との交歓を螺鈿や平文、蒔絵で表している。
創作の基底は、日本美術の特質である日常性と実用性がある。元来、日本の工芸は、その造形が硯箱や箱などのような日常性の上に成立してるから、そこに内在する作家の精神性は見え難い。作者自身の美意識や造形感覚を表現するために、自己の日常性の中に漆芸を引き寄せることに成功している。漆芸品は、「身近に置いて愛玩すべきものであり、そこに幸せがもたらされる」とする工芸観が基層にある。
こうした創作の背景には、「漆」という素材を心の底から愛しているからである。だからこそ長年に亘り漆と関わってその保存・修復の研究に携わり、また今日の創作活動の原動力となっているのである。
中里先生の今後のご活躍とご健勝を祈念したい。

                                MOA美術館副館長・九州大学客員教授
                                          美学博士 内田 篤呉

 

『漆黒の宇宙に遊ぶ中里藝術』

中里壽克先生が個展をなさるという。嬉しいことだ。
私が先生に初めてお目にかかったのは、もう30年以上前になる。当時先生は、東京藝大のお隣にある東京国立文化財研究所の保存修復部に所属され、漆工文化財の修復研究を担当されていた。すでに平泉中尊寺の内陣の修復などで大きな実績を挙げておられ、漆芸修復の第一人者だった。名著『中尊寺金色堂と平安時代漆芸技法の研究』(1990至文堂)は、平安時代漆工芸技法の聖典として今も多くの研究者に重宝がられている。
当時の私はといえば、東京藝大保存修復技術研究室のなりたてほやほやの非常勤助手で、
仏像修理の実績もほとんどない駆け出しのころだったが、先生はいつも笑顔を絶やさず、漆のことをかんでふくめるごとく懇切にご教示くださった。
先生は、修復家としての業績が高く評価されているが、漆芸家としても非常に優れた作家であることを知る人はあまり多くない。それはひとえに、先生の控え目な性格によるものだと思う。
東京藝大において松田権六先生らの薫陶を受けた先生は、わが国の漆工作品が凛とした漆芸らしさを保っていた時代にしっかりと修業されている。わが国の正統的な漆工技法を知悉されたうえで実践される深い漆黒の宇宙に、蒔絵や緑彩色(註)などで表現された極微の世界の浮遊感は、見る者をとらえて放さない。
欧米において、文化財の修復家と創作家は、別のジャンルのしごととしてはっきりわけられている。したがって、修復家が創作的にしごとを発表することは、タブー視されているといっても過言ではない。しかしわが国において、優れた文化財の修復は、技法的にも感性の面でもその時代の第一級の創作家があたるべきだと私は考えている。このことは、日本人の精神性と歴史・文化の伝承形式に由来していることだ。たとえば、多くの優れた日本画家にとって、古典絵画は汲めども尽きぬ創作の源泉であり、飛鳥・天平から鎌倉にかけての仏像彫刻は現代の彫刻家にとっても計り知れないほどの智慧が内包されている。このことを学ばず、新奇な形式のみを追う創作作家のしごとは、極めて脆弱だ。いうまでもなく工芸家にとって、正倉院宝物は永遠のお手本であるし、中国や韓半島の陶磁器の技法も同様だ。わが国の優れた美術工芸家は、いにしえからの造形的遺伝子を、制作を通じて承け継ぎ実践しているといえるだろう。
このたびの展覧会が、当代漆工芸の第一人者・中里壽克のしごとを一堂に拝見できる貴重な機会として、ぜひとも多くの工芸ファンに足を運んでいただきたいと願っている。

                                                                                                                                  彫刻家・東京藝術大学大学院教授
                                                                                                                                                             籔内 佐斗司

(註)緑彩色/漆芸における緑色の表現の一種。緑色の顔料を用いるのではなく、金箔などをもちいて鮮やかな緑色を発色させる伝統技法。

《中里壽・略歴》
1936 福島県会津若松市生まれ
1958 第5回日本伝統工芸展 入選
1961 東京芸術大学美術学部専攻科 終了
          第4回新日展 入選
          第1回飛鳥会展/福島県 (1964年も)
1964   第18回福島県展 特選受賞
          第18回行動展 入選 (1965年も)
          東京国立文化財研究所 入所
          中尊寺金色堂修復の調査
1969   第16回日本伝統工芸展 入選 (以後5回出品)
1970   第10回伝統工芸新作展 入選 (以後6回出品)
1973   日本工芸会 正会員 (現在退会)
1976   第1回白眉会展/会津若松 (以後8回出品)
1985   第1回漆蒔絵四匠会展/日本橋三越 (~1997年全9回)
1990   正倉院伎楽面修復委員会に参画(~2011)
1991  『中尊寺金色堂と平安時代漆芸技法の研究』(至文堂)にて「国華賞」受賞
1992   日本の美術(No318)『中尊寺の漆芸』(至文堂)
1998   東京国立文化財研究所 退官
          中里壽蒔絵展/日本橋三越
          鶴見大学文学部文化財学科教授
2003   平等院 国宝本尊・国宝天蓋平成大修理事業に参画 (~2007)
2007   鶴見大学 退職