*東京アート&アンティーク2015は、4月16日(木)—18日(土)の日程です。

主催者よりご挨拶
昨年4月に開催しました「石田誠進化論-まことのさけうつわⅡ-」は、2年連続の試みでしたが、多方面から好意的な反響を頂き、かつ新規のファンとリピーター諸氏からは「なかなかいいね!」との有難いお言葉も頂戴しました。松山の若き名工=石田氏の持ち味を相当アピール出来た、楽しい酒器展となりました。
また、会期中は「大試飲会」と銘打って、彼の「さけうつわ」を実際に試用させて頂きましたが、「育みたくなる愛しいうつわだね!」、「毎日使いますよ!」と想定外のご好意まで頂き、深く感謝いたします。
今回も入念な研鑽工夫と諸準備のもと、近年力を傾注する「ネオ白磁」、「デルフト系」、「無地スリップウェア」による最新のうつわ=カップ&ソーサーを中心に、現代の生活空間にピッタリの「おちゃうつわ」を鋭意研究&制作して頂きました。彼のマグカップは概ね好評ですが、キャリア初の発表となるカップ&ソーサーは、正に待望のアイテムとなることと予想されます。石田氏の持ち味である轆轤の冴え渉りは相変わらずですし、基本的な造形力も健康さと繊細さと安定感とが良く調和しているとみました。今回はエスプレッソ用~ドゥミタス用~レギュラーコーヒー用~カフェオレ用と、珈琲を基準にして、5種のサイズのものにチャレンジして頂きました。もちろん、珈琲に限定せず、紅茶~ハーブティーなど、各々多様な「日常のおちゃ」にジャストフィットするものと確信いたします。また、前回好評でしたピッチャー(今回はおちゃ用)を再制作して頂きました。
今回は上記の技法のカップ&ソーサーをはじめ、ティーブレークタイムに必須のアイテム=紅毛系のお菓子皿の最新作も併せてご用意しました。「まことの菓子うつわ」も目下絶好調ですので、併せてお手に取り、お気に入りの「うつわ」をお探しください!
以上、謹んでご案内を申し上げます。
2015年4月吉日
ギャラリーこちゅうきょ
磁器土を扱う細工場、土物を扱う細工場、この二つの場所を中心に仕事をしている。ここらあたりは沢が近いので雨が強く降るとゴォゴォと沢は荒れる。普段は耳をすませば沢の流れる音と木々がそよぐおとがシャーシャーとなっている。春は鳥がさえずり始め、夏はその他虫の音もなかなかさわがしくなってくる。ある日磁器の細工場で仕事をしているとなにかカサカサ音がする。はてなんだろうと気になり音のでどころをさがしてみると沢蟹がいた。よくあることだ。だいたい湿っぽいところが好きなんだろう。しかしこのままほっておくとこのまま細工場で息途絶えてしまい、ひからびてしまうのでたいがいは沢蟹をみつけるとひょいともちあげ表の沢がある方面の草むらに放る。いつものことだ。ただこの時は右手でひょいっともちあげた瞬間、「あーっ。」とびっくりしてしまった。甲羅の裏側をほとんど占める蓋のような場所がパクっと開き「あー、蟹がこわれた!」とおもうのもつかの間、その蓋から数えきれぬ程の子蟹がわらわらとあふれでてきたのである。その子蟹の動きの素早い事!。このままでは細工場でみんなひからびてしまうと瞬時に察知、にげまどう子蟹を箒とちり取りでかき集め草むらに放った。蟹の出産とはこうゆう風なのかと驚いた出来事であった。親蟹はどうなったのか記憶にない。たぶんちりとりで一緒に放ったのだろう。
最近はゲリラ豪雨とか集中豪雨とか、大丈夫かなと心配になるような雨が時折おこる。雨が降り続くとなにかと心配事が重なる。あーあそこの雨漏りは大丈夫かな。裏山の土砂崩れはどうだとか、水源地に不具合がおこってないかな。とかなにかと楽天的な私ですら心配事が重なると気分は決して軽くはない。下方にある沢の音は雨足とともに次第に大きな音となりやがて大きな石が流されるごろごろとゆう猛々しい音に変わる。そうなるともうお手上げである。じたばたしてもどうにもならない。もちろん有事となる様な雨量であれば自主避難も辞さないのだが、あぶないときはじっとしているほうが身の為である。やがて雨は少しずつ柔らかな音となりあがる。しかしごろごろと流れる沢の水は、簡単にはひかない。1日、2日おいて水源地を視察にいく。私共が使用しているのは極少数の組合員で運営している谷間の簡易水道である。とはいえその設備は当時相当な尽力でもってつくられたもので、いつみてもありがたさで頭が下がる思いである。その水源地は、山の奥深くに在る山のしぼりの水が流れる小さな沢である。ここの水源地の沢水を最初に流し込む場所が大雨が降ると大量の土砂や水が流れ込み、だいたいが詰まる。視察にゆくと大体のチェックポイントに目を通しつつ、奥へ進み、最終的に水源地に詰まった土砂をとりのぞくのである。大概細かい土砂が漕から漕へながれ3~4日は薄茶色の水が水道よりやってくる事となる。とうぜんお風呂も濁る。米をとぐ水も薄茶色である。しかし水が無いよりましだ。かつてはよく水が原因不明のまま断水し、組合員みんなで原因をさぐり大変苦労をした。そのときの事を考えれば濁っていようが水である。水が無い事はとてもつらい事だ。
最近磁器土をよく使用している。紅毛手とよばれる中火度釉の白いガラス質釉役もよく使う。ご存知のとうり白い焼物には焼成後、不純物もよく目にはいる。鉄粉、ふりもの、と呼ばれ白磁の作家は細工場に細心の注意を常に払う。 がしかし昨年ふとした事でこの雨上がりの濁り水を白くやきあがる釉薬をうすめるときにつかってしまったのである。「アッ。大丈夫かな。」と心配したとおり、焼き上がりはプツプツと不純物がある。よく鉄粉除去の為100目から180目の篩をとおしたりするのだがこのときは180目の篩をとおしてみた。がしかし焼成後の鉄粉除去の効果は得られなかった。お手上げであった。
今まで十余年も住んで仕事をして水に含まれる細かな薄茶色のものにはなにも気づかず過ごしてきた私もうっかり屋であった。しかしこの薄茶色の水、180の篩をとおしても勿論茶色のままである。これを透明にするにはそれなりのフィルターにかけなけれがならない。最近は薄茶色の水になった時は、あらかじめ天気がいい日に汲んでおいた水を使って作業しています。
先人の人達の水の管理は当然のようでいてなかなかたいへんだったのではないかとこの時以来感じている。わき水や、井戸水、いろいろな水が使われた事だろう。当然大雨の日もあっただろう。また干ばつの時もあったであろう。白い陶磁器を作った当時の品々や陶工にも頭が下がる思いである。
癖は好きじゃない。自分勝手な理由で定着しやがてそれが癖になるのだ。っと思っている。これは以前にも綴ったのだが、かつての私の轆轤は癖があった。その当時はいろいろなことに一生懸命な時期で肝心な轆轤の仕事がみえてなかったのだ。ふとふりかえってみたとき自分の癖を主観的にも客観的にもあまんずることのできない処まできていると感じこの癖を直すにはいちからやりなおささなければっと決心しました。そして7年ぐらい経ち現在に至っている。まだまだ課題はてんこもりだ。まだはじまったばかりである。轆轤の癖は少しづつ無くなりつつあると感じている。幸か不幸か、気質は変わらない。癖と気質は別物である。
轆轤の仕事もさることながら、普段なにげに使っている字ひとつとっても癖の集大成である。滑舌も悪い。早口で何を言ってるのか聞こえないとよく注意される。落ち着きも無い。いつもちょろちょろ動いている。こればかしは直そうと試みたがなかなかてごわい。一筋縄ではいかない。数十年にわたり使ってきた癖である。簡単に直るはずがない。字は書道教室かペン字教室かに通い、もしくはボイストレーニングをしたりとなかば強制的に直すしかない。されど簡単にそういったところにも行けそうも無い。となれば自分自身でこつこつなおしてゆくしかなかろう。仮にボールぺんを手にとり横にまっすぐ縦にまっすぐにとかひいてみる。線ひとつまともにかけない。こまったものだ。もう姿勢の癖からなおすしかないとか、はたまた脳味噌に深く刻まれたしわの数々ももう癖だらけなんじゃないかと永遠に癖との対峙である。もう残る人生があるうちにすこしづつ姿勢をただしぶれない軸を身につけ、しなやかに、すこしづつ調整していくしかない。
せめて自分の右手や左手で土から溢れ生み出される形がくせの無い健やかなものでありたいと常に願っている。
名前は縁起がありそうないい名前なのにきらわれてる虫だ。とにかくやたらめったら臭う。けっこう迷惑なきらわれものである。春先に少し暖かくなるとどこからともなくあらわれてはブンブン飛び回る。冬近くなるとやはりブンブンとんできて家の中にはいり、のっそり越冬場所をさがすのだ。なかには干した洗濯物にしのびこみそのまま箪笥の中へとゆうケースも少なくない。時折、衣類を羽織るとき、足を胴体に密着させたまさに亀のような状態で眠っているカメ虫がポトリっと床におちる。
緑のちいさいヤツと焦げ茶色の大きなヤツとがいる。幼年期は緑でやがて茶色になるのか。はたまたまったく別々の種類なのかいつも気になるが、まだ調べた事はない。秋に家の脇の電信柱の近くでわんわんと集団で黒い丸い影となり飛び回ってる虫がいて「蜂かな?ハエかな?なんだろうと気になりちかよってみるとカメ虫であった。家の近くで仲間で集まりここで越冬しようゼとばかりに飛んでいるのかもしれない。不気味であった。冬に家のなかでストーブで暖をとってるとこいつらもゴソゴソうごきだしてくる。暖かくて春がきたのかと勘違いしているのだろう。そんなときはまるめたティッシュへと誘導し、しがみつくとそのまま指ではじいて外に放る。
私が生まれ育った場所は標高が600メートルくらいの山で茶色のカメ虫しか見た事がなかった。緑色のカメ虫は今作陶している山にきてから知った。なので2種類いるのかもしれない。しかし小さい茶色のカメ虫はあまり見た事がないような気もするのだが。子供のときはどんな色格好なんだろう。気になるところである。越冬場所は大体てんとう虫とコンビのようにおなじような場所を選んでいる。てんとう虫はなぜか愛されカメ虫とちがってめっぽうイメージがいいようだ。もしてんとう虫がもうれつな臭気を放ち、カメ虫が無臭だったら亀のような虫として目出度いと珍重され愛されたかもしれない。
追記 生まれ育った田舎にはゴキブリがいなかった。子供の頃それを見た事も無く、ラジオやテレビや 本などでなんとなくゴキブリとゆう名前とイメージだけ知っていた。12歳頃だったか当時松山市内に住んでいた私の祖母が帰省し三味線を置いて帰った。どんな音するんだろうと袋から取り出すと黒いテラテラした虫が勢い良く飛び出してきた。とっさに「アッ。これがゴキブリだ。」と驚いた事が今も思い出される。
「次回はお茶のうつわで考えています」と伊藤さんより聞いた時、ひとつ返事で了解したものの、はて?お茶のうつわといっても随分幅がひろいぞ。すこしづつ幅をしぼっていかないと形にならんなっと漠然と考えておりました。そして「まことのおちゃうつわでいきます。よろしく」と連絡を受け今回のはこびとなりました。おちゃのうつわもさまざまな種類や用途があり、改めてそのおちゃうつわの門扉のむこうにひろがる広さを感じる事ができました。東西も時空も超え存在したうつわのひろがりは到底理解できるものではありません。ただその門扉の奥に一歩づつ進みやがてたどり着くなにかが私を待っているはずだと思っています。日々に感謝。
2015 4月8日 石田 誠
注:石田誠氏特有の文法、慣用句、言い回しを生かすべく、玉稿を改変せず、100%オリジナルのママとしました。(担当:伊藤潔史拝)
「秋刀魚は目黒に限る!」とは古典落語の有名なサゲですが、現代ではこれが現実、すなわち毎年9月初旬に目黒区目黒川沿いの特設会場で、我がみやぎは気仙沼在の有志の全面協力の下、「目黒の秋刀魚祭り」が賑々しく執行されます。そのあまりにも好評振りに年々参加者が増えて、開催者側が嬉しい悲鳴を挙げているとのこと、ニュースで仄聞しました。気仙沼をはじめ、3.11被災地の水産業は着実に復興のピッチを上げ、遂に震災直前の70%まで水揚げが回復したとのこと、真に頼もしく嬉しい限りです。
先週の某日、仙台の実家から恒例の秋刀魚と特大帆立貝が届きまして、秋刀魚は一部三枚におろして即冷凍し、その晩から早速秋刀魚の塩焼きと帆立グリルにしましたが、いずれも上々の美味ですので実家には礼状を認め謝意を伝えました。幼少年期には余り好物でなかった秋刀魚に開眼したのは上京後、とりわけ酒の味を覚えて以降なので、故郷で水揚げされるそれは御国自慢を別にしても素直に高く評価したいものです。三枚におろした分は数日後に家内が特製グリルにしてくれまして、白ワインとともに大いに楽しむことが出来ました。
さて、先々週の金曜日午後、珍しく平日代休の私の携帯電話が鳴りまして、早速通話しますと、その相手が旧友で松山在の陶芸家・石田誠君なのでした。彼曰く、「明日から目白で個展だからして、今上京したんで電話しました。今日は会えないですよねー?」、私、「あー、毎度ながら唐突な話だけれど、或る程度予想はしてたよ!18:00、新宿駅で待ち合わせで、どんだ?」、石、「ありがと、ありがと、了解です!」
約束の刻限に新宿駅中央東口改札に着きますと、石田君は手を振って私を待っていてくれました。恒例の握手を交わしてお茶でもしようかと思いましたが、私曰く、「今晩は何処に泊まるの?そして夜は予定が有るの?」、石、「〇〇ホテルにこれからチェックインじゃけど、夜は予定なし!」、私、「んー、じゃあ何処かで食事しよう!」、石、「賛成賛成、大賛成じゃ!」新宿界隈でも良かったのですが、暫し熟考の末に我が隠れ家、本駒込「オステリア・ラ・ベリータ」様が好かろうと電話しますと、急な注文にも酒井稔仁シェフは快諾して曰く、「どーぞ、お出で下さい、奥様とお二人でしょ!」、私、「まあ、2人分席を取っていて下さい、〇〇時までに参ります。」
現場までの途々、石田君とは馬鹿話をはじめ種々意見交換やら近況報告やらをしましたが、「ラ・ベリータ」様で着席して、初めてマダム=御母堂と酒井シェフに石田君をご紹介しました。シェフ曰く、「時間が許す限り、ゆっくり楽しんでいってください。幸い今晩は気の置けない常連様のみのご来店予定なので、リラックス出来ますよ!」との有難いお言葉。例の如く、食前酒=伊太利亜麦酒を片手に黒板メニューと睨めくらしますと、石曰く、「kiyoさん、もの凄い怖い眼つきでなんだか真剣勝負みたいじゃけ!」、私、「当たり前じゃ、これからシェフとの真剣勝負が始まるのじゃ!」シェフは当然苦笑しつつ、メニューとワインをアレンジして下さり、厨房へと「真剣勝負」に出陣しました。
アンチパスト3種と、気になって仕様の無かった「白豆のショートパスタ」、ドルチェ、食後酒のリモンチェッロ、〆のエスプレッソに至る全品は正に「真剣勝負」=心尽くしの御手本ですし、更には取って置きの赤ワインを各1杯試飲させて頂き、私の悦びは一入、かつ石田君も相当満足して呉れたようです。前回約束してお取り置き頂いた「ソーヴィニョン・ブラン」も予想以上の素晴らしさ、シェフのワイン鑑識眼と選択眼の高さが偲ばれる上々のものでした。
石田君のテーブルマナーの良さと、食材及び伊料理の蘊蓄が中々深いのを初めて知り、正直驚きました。アンチパストの1品が「秋刀魚マリネのサラダ」で旬の味を最高の腕前で供されましたが、石曰く、「このサラダのトマトは極上じゃ!kiyoさん、分かるけ?」と唸るのをシェフが聞きつけ、「えーっ、分かりますか!?これは中々入荷困難で、最高のものなんですよ!」と驚いています。石また曰く、「この麺麭も美味しい美味しい!」実際当店の麺麭はシェフが大いに工夫を凝らした逸品なので、常連様の心を捉えて離さないこと私も同様、シェフの面目が大いに施された感がありました。
食事の最中に石田君との間で自ずと話題になったこと、それが実際の「食」の現場で「うつわ」が如何にあるべきか?と云うことでした。「ラ・ベリータ」様の場合、一品をシェアする基本スタイルですので、やや大振りの「うつわ」に盛られて6寸大のお皿に取り分けます。この寸法の間合いが実に良く、毎回お邪魔する度に秘かに感心する点のひとつです。石田君に問い質して私曰く、「マコ!この寸法の間合いと呼吸、現実に料理が如何に盛り付けられるか、使い勝手はどうなのかを、いい機会だからして、身体で覚えて研究して、自分なりの回答案を作ってみたらよかろう!」と発破を掛けますと、彼は腕を組み、黙想しつつ答えて曰く、「そうじゃそうじゃ!僕ら作り手は現場で何が求められているのか?そんでその作品=うつわが如何に使われているのか?分からんで悩むんじゃけ、今日は頭じゃなくて、身体全体の感覚と感性を以て勉強するのじゃ!」と強い口調で言い切りました。彼なりの「真剣勝負」の数時間だったことと確信しました。
この晩餐の翌日に、目白の某ギャラリーでの個展初日に、陣中見舞いで顔を出しました。ラインナップをザッと見渡し、気になる作品を手に取り吟味して、彼の最新の試作技法=オリジナル鉄釉による大皿と中皿を各2点求めました。石田君、「どうだろか?kiyoさんには内緒で研究してみたんじゃけ・・・」、私、「んー、また良い引き出し=基本技法を掴みつつあるね。眼に見えないディテールもマアマアかも知れないよ。足腰も悪くないね。今晩から早速いじめて、すなわちドシドシ使ってみるよ!」、石、「ありがとありがと、ぜひ大いにいじめてやって下さい・・・それからね、夕べのね、食事会ね、僕には大変貴重な勉強会になったと痛感したんじゃけ、本当にありがと!」別れ際にいつも以上に力を込めて握手を交わしたこと、言うまでもありません。
「うつわ」の在り方、陶芸作家の仕事の在り方は、今後益々真剣に考えねばならぬとつくづく痛感いたします。一見してこれはいいな!と購入しても、実際に現場で使ってみて失望する事例を、私自身頻繁に体験しています。石田誠君には現状に満足せず、孜孜とした研鑽と努力を継続して欲しいと願ってやみません。そして将来、酒井シェフをはじめ料理のプロフェッショナルたちが唸り、その現場で愛用する器を制作提供して欲しいものと、石田君に心から熱いエールを送ります。石田君、もっともっと頑張って下さい!(by kiyo=伊藤潔史)
※以上の拙文は昨年9月、「箔屋町だより」に綴ったものを加筆校正せず、100%転写したもの。12月に今回の展覧会準備のために松山へ行き、親しく、かつドラスティックに石田君に接しました。昨年より確実に彼が「進化=深化」している様子は、言葉の端々、そして彼の表情と言動とに表れていると見ました。今回のラインナップも、1点1点丹精を込め、作者の力量を万全に表出したものと言えましょう。ぜひ、お手に取って、忌憚ないご意見をお聞かせいただきますよう、お願いをいたします。(伊藤 再拝)
| 1965 | 愛媛県に生まれる |
| 1989 | 愛知県立窯業高等技術専門校専攻科卒業 |
| 1996 | 松山市に築窯 |
| 1999 | 半地上式穴窯を築窯 |
<展覧会>
| 1996 | CLAY WORK in SETO(愛知県立陶磁資料館) |
| 2003 | 愛の器展(那覇市立焼物博物館) |
| 2005 | 南蛮のうつわ展(H.WORKS/東京)(以後毎年開催) 女学生のための愛の器(那覇市立焼物博物館) |