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日時
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主催者の目線
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作家寄稿
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略歴

石田誠氏特別寄稿「日々の事」


仕事場にて

磁器土を扱う細工場、土物を扱う細工場、この二つの場所を中心に仕事をしている。ここらあたりは沢が近いので雨が強く降るとゴォゴォと沢は荒れる。普段は耳をすませば沢の流れる音と木々がそよぐおとがシャーシャーとなっている。春は鳥がさえずり始め、夏はその他虫の音もなかなかさわがしくなってくる。ある日磁器の細工場で仕事をしているとなにかカサカサ音がする。はてなんだろうと気になり音のでどころをさがしてみると沢蟹がいた。よくあることだ。だいたい湿っぽいところが好きなんだろう。しかしこのままほっておくとこのまま細工場で息途絶えてしまい、ひからびてしまうのでたいがいは沢蟹をみつけるとひょいともちあげ表の沢がある方面の草むらに放る。いつものことだ。ただこの時は右手でひょいっともちあげた瞬間、「あーっ。」とびっくりしてしまった。甲羅の裏側をほとんど占める蓋のような場所がパクっと開き「あー、蟹がこわれた!」とおもうのもつかの間、その蓋から数えきれぬ程の子蟹がわらわらとあふれでてきたのである。その子蟹の動きの素早い事!。このままでは細工場でみんなひからびてしまうと瞬時に察知、にげまどう子蟹を箒とちり取りでかき集め草むらに放った。蟹の出産とはこうゆう風なのかと驚いた出来事であった。親蟹はどうなったのか記憶にない。たぶんちりとりで一緒に放ったのだろう。


大雨

最近はゲリラ豪雨とか集中豪雨とか、大丈夫かなと心配になるような雨が時折おこる。雨が降り続くとなにかと心配事が重なる。あーあそこの雨漏りは大丈夫かな。裏山の土砂崩れはどうだとか、水源地に不具合がおこってないかな。とかなにかと楽天的な私ですら心配事が重なると気分は決して軽くはない。下方にある沢の音は雨足とともに次第に大きな音となりやがて大きな石が流されるごろごろとゆう猛々しい音に変わる。そうなるともうお手上げである。じたばたしてもどうにもならない。もちろん有事となる様な雨量であれば自主避難も辞さないのだが、あぶないときはじっとしているほうが身の為である。やがて雨は少しずつ柔らかな音となりあがる。しかしごろごろと流れる沢の水は、簡単にはひかない。1日、2日おいて水源地を視察にいく。私共が使用しているのは極少数の組合員で運営している谷間の簡易水道である。とはいえその設備は当時相当な尽力でもってつくられたもので、いつみてもありがたさで頭が下がる思いである。その水源地は、山の奥深くに在る山のしぼりの水が流れる小さな沢である。ここの水源地の沢水を最初に流し込む場所が大雨が降ると大量の土砂や水が流れ込み、だいたいが詰まる。視察にゆくと大体のチェックポイントに目を通しつつ、奥へ進み、最終的に水源地に詰まった土砂をとりのぞくのである。大概細かい土砂が漕から漕へながれ3〜4日は薄茶色の水が水道よりやってくる事となる。とうぜんお風呂も濁る。米をとぐ水も薄茶色である。しかし水が無いよりましだ。かつてはよく水が原因不明のまま断水し、組合員みんなで原因をさぐり大変苦労をした。そのときの事を考えれば濁っていようが水である。水が無い事はとてもつらい事だ。

最近磁器土をよく使用している。紅毛手とよばれる中火度釉の白いガラス質釉役もよく使う。ご存知のとうり白い焼物には焼成後、不純物もよく目にはいる。鉄粉、ふりもの、と呼ばれ白磁の作家は細工場に細心の注意を常に払う。 がしかし昨年ふとした事でこの雨上がりの濁り水を白くやきあがる釉薬をうすめるときにつかってしまったのである。「アッ。大丈夫かな。」と心配したとおり、焼き上がりはプツプツと不純物がある。よく鉄粉除去の為100目から180目の篩をとおしたりするのだがこのときは180目の篩をとおしてみた。がしかし焼成後の鉄粉除去の効果は得られなかった。お手上げであった。

今まで十余年も住んで仕事をして水に含まれる細かな薄茶色のものにはなにも気づかず過ごしてきた私もうっかり屋であった。しかしこの薄茶色の水、180の篩をとおしても勿論茶色のままである。これを透明にするにはそれなりのフィルターにかけなけれがならない。最近は薄茶色の水になった時は、あらかじめ天気がいい日に汲んでおいた水を使って作業しています。

先人の人達の水の管理は当然のようでいてなかなかたいへんだったのではないかとこの時以来感じている。わき水や、井戸水、いろいろな水が使われた事だろう。当然大雨の日もあっただろう。また干ばつの時もあったであろう。白い陶磁器を作った当時の品々や陶工にも頭が下がる思いである。





癖は好きじゃない。自分勝手な理由で定着しやがてそれが癖になるのだ。っと思っている。これは以前にも綴ったのだが、かつての私の轆轤は癖があった。その当時はいろいろなことに一生懸命な時期で肝心な轆轤の仕事がみえてなかったのだ。ふとふりかえってみたとき自分の癖を主観的にも客観的にもあまんずることのできない処まできていると感じこの癖を直すにはいちからやりなおささなければっと決心しました。そして7年ぐらい経ち現在に至っている。まだまだ課題はてんこもりだ。まだはじまったばかりである。轆轤の癖は少しづつ無くなりつつあると感じている。幸か不幸か、気質は変わらない。癖と気質は別物である。

轆轤の仕事もさることながら、普段なにげに使っている字ひとつとっても癖の集大成である。滑舌も悪い。早口で何を言ってるのか聞こえないとよく注意される。落ち着きも無い。いつもちょろちょろ動いている。こればかしは直そうと試みたがなかなかてごわい。一筋縄ではいかない。数十年にわたり使ってきた癖である。簡単に直るはずがない。字は書道教室かペン字教室かに通い、もしくはボイストレーニングをしたりとなかば強制的に直すしかない。されど簡単にそういったところにも行けそうも無い。となれば自分自身でこつこつなおしてゆくしかなかろう。仮にボールぺんを手にとり横にまっすぐ縦にまっすぐにとかひいてみる。線ひとつまともにかけない。こまったものだ。もう姿勢の癖からなおすしかないとか、はたまた脳味噌に深く刻まれたしわの数々ももう癖だらけなんじゃないかと永遠に癖との対峙である。もう残る人生があるうちにすこしづつ姿勢をただしぶれない軸を身につけ、しなやかに、すこしづつ調整していくしかない。

せめて自分の右手や左手で土から溢れ生み出される形がくせの無い健やかなものでありたいと常に願っている。



かめむし

名前は縁起がありそうないい名前なのにきらわれてる虫だ。とにかくやたらめったら臭う。けっこう迷惑なきらわれものである。春先に少し暖かくなるとどこからともなくあらわれてはブンブン飛び回る。冬近くなるとやはりブンブンとんできて家の中にはいり、のっそり越冬場所をさがすのだ。なかには干した洗濯物にしのびこみそのまま箪笥の中へとゆうケースも少なくない。時折、衣類を羽織るとき、足を胴体に密着させたまさに亀のような状態で眠っているカメ虫がポトリっと床におちる。

緑のちいさいヤツと焦げ茶色の大きなヤツとがいる。幼年期は緑でやがて茶色になるのか。はたまたまったく別々の種類なのかいつも気になるが、まだ調べた事はない。秋に家の脇の電信柱の近くでわんわんと集団で黒い丸い影となり飛び回ってる虫がいて「蜂かな?ハエかな?なんだろうと気になりちかよってみるとカメ虫であった。家の近くで仲間で集まりここで越冬しようゼとばかりに飛んでいるのかもしれない。不気味であった。冬に家のなかでストーブで暖をとってるとこいつらもゴソゴソうごきだしてくる。暖かくて春がきたのかと勘違いしているのだろう。そんなときはまるめたティッシュへと誘導し、しがみつくとそのまま指ではじいて外に放る。

私が生まれ育った場所は標高が600メートルくらいの山で茶色のカメ虫しか見た事がなかった。緑色のカメ虫は今作陶している山にきてから知った。なので2種類いるのかもしれない。しかし小さい茶色のカメ虫はあまり見た事がないような気もするのだが。子供のときはどんな色格好なんだろう。気になるところである。越冬場所は大体てんとう虫とコンビのようにおなじような場所を選んでいる。てんとう虫はなぜか愛されカメ虫とちがってめっぽうイメージがいいようだ。もしてんとう虫がもうれつな臭気を放ち、カメ虫が無臭だったら亀のような虫として目出度いと珍重され愛されたかもしれない。

追記 生まれ育った田舎にはゴキブリがいなかった。子供の頃それを見た事も無く、ラジオやテレビや 本などでなんとなくゴキブリとゆう名前とイメージだけ知っていた。12歳頃だったか当時松山市内に住んでいた私の祖母が帰省し三味線を置いて帰った。どんな音するんだろうと袋から取り出すと黒いテラテラした虫が勢い良く飛び出してきた。とっさに「アッ。これがゴキブリだ。」と驚いた事が今も思い出される。



おちゃうつわ

「次回はお茶のうつわで考えています」と伊藤さんより聞いた時、ひとつ返事で了解したものの、はて?お茶のうつわといっても随分幅がひろいぞ。すこしづつ幅をしぼっていかないと形にならんなっと漠然と考えておりました。そして「まことのおちゃうつわでいきます。よろしく」と連絡を受け今回のはこびとなりました。おちゃのうつわもさまざまな種類や用途があり、改めてそのおちゃうつわの門扉のむこうにひろがる広さを感じる事ができました。東西も時空も超え存在したうつわのひろがりは到底理解できるものではありません。ただその門扉の奥に一歩づつ進みやがてたどり着くなにかが私を待っているはずだと思っています。日々に感謝。

2015 4月8日  石田 誠   


注:石田誠氏特有の文法、慣用句、言い回しを生かすべく、玉稿を改変
    せず、100%オリジナルのママとしました。(担当:伊藤潔史拝)


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